Akaeriのブログ

Akaba Eriと申します。日常にある様々なことについて考えていく人。

それはガラクタか

 とある前、403という数字を覚える機会があり、どう覚えようかと素因数分解したら13×31となり、「面白い数字だ!」と一人で楽しんだことがある。

 また別の日、ツイッターにおけるAA(アスキーアート)つきの定型ネタを見た時、そこに書かれていた一文の「終わらない一週間」における「一週間」は終わるのか。について真面目に考えていたことがある。

 

 このような経験や考えについて、多くの人はガラクタ、意味のないものと考えるだろう。これが何かの役に立つのだろうか。と。中には、もっと金になる考え方や情報を模索するかもしれない。

 しかし、この態度はとても「受動的」である。素材があったとして、その素材を加工することなく、そして、加工することをあまり考えず、何に役に立つか判断しているのである。

 もしかしたらその素材を加工すれば中から金が出てくるかもしれないし、何かと組み合わされば化学反応が起きるかもしれない。そしてまた、それが社会的経済的価値を有するものかは、本人によって関係がなかったりする。個人的には少しもったいない。

 では、加工することを考えよう。

 となると、私たちはその素材をどれぐらい把握できているか認識する必要がある。そして、把握しようとする主体的態度、また、加工する体力が必要であろう。それは実践において身についていく(慣れ)。

 

 そのようなものが結局、何に役に立つのかと問われれば、日常の考え方はもちろんのこと、行動に現れる。

 ゲームでも、何かショッピングをしている時でもいい。見えている加工範囲が違っている。そして、持っている情報においてそれを加工し、論理的に新しい情報を生み出したり、推論によって多少不確実でもそれを選び、ゲームを有利に進めたり、ショッピングなら金額を安く済ませられたりするだろう。中には、関係がなさそうな学問といった知識から周りには到達できない情報に繋げられることもあるだろう。とても強い力なのである。

 しかし、このような力の尺度を私たちは見つけられていないし、相対的判断も難しい。だがそれはあるのであり、力量の大小は数多の出会う選択肢に大きな影響を及ぼすのである。